ガレージの中

死にそこなったが雑草の真実

晩夏と飢え

急に寒くなったから熱燗と牛スジ煮込みがどうしても食べたくて仕事帰りに近所をさまようもよく行く店は休み、うるさげなところに入る元気もなく、コンビニで買って家で食べた とてもまずかった コメの一粒一粒までもまずくなった。エアコンのリモコンが見当たらないから除湿もできず変な汗が収まるのをバイト先で貰ってきた期限切れの飴を舐めながら待つ。

 

基本的に生まれた理由ないし生きていたくないから大前提として死にたいんだけど、今生きてるのは生きてないとできないことがあるからで、常に選択にある死を今選んでないのはそれに論破されている状態にあるから 自分と生の知恵比べ 自分が勝ったら死ぬ。勝てない限りは大人しく生きてる。

生きてる理由はある、そこは別の話だと思ったんだけど生まれた意味=生きてる理由になるのか?説明できないけど別な気がした、昨日台所掃除しながらふとそう思った…

 

アルコール入れる時とタバコを吸う時以外は一ミリの隙間も脳みそに与えてはならんのです でないと自分の毒気に自分で当てられて死ぬ

自分のことは猫かなんかだと思ってるのでたまには高い缶詰を食べさせてあげないといけない。物を食べる意思がある時はまだ生きてたいのだなとしみじみ思う。愚かだとも思う。